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ハウステンボスって何?


ドムトールン

ハウステンボス(Huis Ten Bosch)は、オランダ語で「森の家」という意味だそうですが、その昔、第二外国語にドイツ語を習ったはずの筆者にはまるで記憶がありません。オランダ語とドイツ語ってかなり近いと聞いた覚えがあるのですが。まあ、ともかく「森の家」もその通りですが、周辺の環境からすると「海の家」の方が当たっているかも。ただし「海の家」というと「近所の海岸の不衛生な食事を食わせる休憩所」を思い浮かべてしまうので、名前として採用しなかったのかもしれません。それにしても「家」というにはあまりに巨大です。

 

定義

名前の由来
ハウステンボス/よくある質問と回答集のコンセプト編 Q1 を見よ。
テーマパーク?
ハウステンボスの街並みハウステンボスは事あるごとに「テーマパークではない」と言っています。確かにアトラクション設備が充実しているとは言えないし、それが「売り」の人気のあるテーマパークと単純に比較されるのを嫌がっているのだと思いますが、あまりムキになっても仕方がないでしょう。「オランダの街並みを模した、環境共存型テーマパーク」でそこそこ伝わると思います。「絶叫マシンはありません」と「行列マニアは失望します」と断っておけば完璧です。
リゾート!
ここ数年、ハウステンボスが布教に努めているのが「テーマパークではなくてリゾートですよ」ですが、あまり効果は上がっていないようです。リゾートという概念は日本人には未来永劫理解できないのかもしれません。
ハウステンボスが布教に苦労している間に、東京ディズニーランドはちゃっかり「東京ディズニーリゾート」に変身してしまいました。オリエンタルランドさんはやっぱり商売上手です。パクリと誤解されるでしょうけど、ハウステンボスも「ハウステンボス・リゾート」と改名する手がありますが、古くからの社員やコアなファンは怒るだろうなあ。

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過去

針尾電波塔
ハウステンボスが「針尾島」という島にあることはあまり知られていません。大きくて複雑な形をしている島なのでそれも無理はないでしょう。その針尾島には今は使われていない電波塔があります。JRのハウステンボス駅を出てハウステンボスを望む坂の上に立つと、施設のかなたに3本の煙突のようなものが見えます。それが針尾電波塔です。高さ137mのコンクリート製の尖塔が、一辺300mの正三角形をなしてそびえ立っています。夕日がその向こうに沈むときなどは結構不気味な眺めです。大正時代に建設されたこの電波塔からは、太平洋戦争の発端、真珠湾奇襲の暗号「ニイタカヤマノボレ」が長波で発信されました。それから4年後、数十キロ離れた長崎市に原爆が投下され、終戦の大きな要因になりました。それだけではなく、いまハウステンボスのある場所は、終戦後は大陸などからの日本人帰国者の引き上げ地だったのです。ここまではなんとか辿り着いたものの、故郷に帰り着く前にこの地で亡くなってしまった方も多かったようです。針尾電波塔が取り壊されるとか、すでに取り壊されたとか聞いたような気もしますが、不景気とはいえ今の日本の繁栄の根っ子には、先人たちの苦労があったことを忘れずにいたいものです。戦争を始めるような、どうしようもない先人もいたのは残念ですが。
20年前
長崎オランダ村と神近社長
オープン
2003年2月
筆者の日記から転写。今読むとかなり感傷的で恥ずかしい。伏せ字部分がありますがご容赦を。

2003年2月26日 19:55
さきほどハウステンボスからファクスが来た。社長と弁護士の署名が入った「お詫びと会社更生手続開始の申立のお知らせ」、東京地裁の「謄本」、「関係者説明会のご案内」、みずほコーポレート銀行からの説明、「今後のお支払方法について」、など10ページのボリュームだ。損害をこうむってしまった取引先には同情を禁じえないが、うちの会社に損害は無いし、なによりハウステンボスのスタッフ達の心情を察すると私まで悲しくなってくる。

こんな事態になったのには色々な原因・要因があるだろうし、経営陣の責任はもちろんあるだろう。メディアには「みずほグループが支援していたが及ばなかった」という論調もある。しかし、みずほ(興銀)がここまで被害を拡大させたと考えるのは私だけではあるまい。現場レベルでは、私が付き合っていた部署のスタッフは一丸となって再建に取り組んでいた。誰一人として怠けている者はいなかった。その効果も目に見える形で現れてきたところだというのにまったく...

とにかく、これがハウステンボスの終わりではない。新しい出発点だと思いたい。

2003年2月26日 20:30
はじめてハウステンボスを見たのは1996年の3月だった。人材センターにつくられる通信放送機構・佐世保リサーチセンターのオープニングが近づいていて、コンピュータ機材の設置の応援を頼まれ一人で出張することになった。夕方の便で長崎空港に着いたので、佐世保行きのバスからハウステンボスが見えてきた時は周囲はもう真っ暗で、佐世保ワシントンホテルを予約していた私は「なんだ、あんまり広くなさそうだな」とぼんやり思った記憶がある。そのときハウステンボスだと思った建物は、翌日「JR全日空ホテル」という場外ホテルだと知らされ、その奥にある場内はとてつもなく広いことに驚愕する。

その後、佐世保リサーチセンターのフェロー(なんて大げさな)として毎月出張するようになり、フェローを辞めてからはハウステンボスの××××のお手伝いをするようになった。最初の××××、大晦日の××××、××××、二度の××××、毎月の××××課とのスタッフミーティング。コンサルティング契約を結んでいた訳だけど、そんな事よりスタッフの成長具合を見るのが何より楽しかった。97年の最初の××××のとき一番不安そうにしていた×君が、今やチームリーダーとなっていて新人やみんなを引っ張っている。リサーチセンターの研究員として松下から出向していた×君、富士通から出向の×君、ビデオカメラマン/ドラマーの×ちゃん。私の友人はハウステンボスの縁者ばかりだ。

去年は3回出張し、場内ホテル(アムステルダムとデンハーグ)に泊まらせてもらった。7年間のトータルでは30数回行っている事になる。場内はそんなに詳しくないが、ハウステンボスの近所(早岐とか川棚とか)にはかなり詳しいという自負はある。冷蔵庫の無い「ファーストイン早岐」、「あき子のちゃんぽん」、その側の「ゆたかうどん」、「展望台」のラーメン、「牧場のソフト」、もう一回行きたいからハウステンボスさん、早く復活して私に仕事を下さい。お願いします。

もちろんハウステンボスは倒産しても、すぐに消えてなくなるわけではないし、スポンサー次第では「そごう」のように復活するだろう。現場のスタッフがあれだけ頑張っているんだから、経営陣、しっかりしろよぉ!

現在

ここんとこご無沙汰です(笑)。
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